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哲学は役に立つのか

  • 2015/03/07 14:35
  • Category: 哲学
就職活動中でたまに聞かれた質問に、"あなたの勉強していることはどう社会に役に立っていますか?"というものがある。まずこの質問への疑問を投げかけたい。他のことも追加で書きたかったが、書いてみたらめちゃくちゃ長くなりそうだったから前半だけで打ち切り。


哲学は社会にどう役に立つか。まずは問題を分析していこう。この文には以下の構成要素がある。

哲学(は)
社会(に)
(どう)役に立つか

まず、これらの構成要素は文字である。そして、これらは質問者の意図(sense)を表すものである。最後に、意図が指し示すものが在るかどうか、この3点を考えなければいけない。文章がTrueになる時、文字は意図が指し示すものを参照(refer)できなくてはいけない。

結論から言うと、これらの構成要素は全て質問者の意図を表せていない。第一に、"哲学"とはなんだろうか。学問だろうか。それとも哲学を学ぶことを指しているのだろうか。この質問は面接というコンテクストで行われたことを加味しても、文字の意図がよくわからない。

第二に、"社会"という文字はなにを意図しているのだろうか。日本社会だろうか。キャリアフォーラムが行われたアメリカ社会のことだろうか。カナダだろうか。それとも世界中の社会をまとめた上位社会とも呼べるものを指しているのだろうか。

第三に、"役に立つ"という単語は、というかそもそも動詞は物と物の関係性を表すもの。今回の動詞は哲学という物と何かとの関係性を示す意図で使われたのだと思うのだが、関係先の物がわからない。AがBの役に立つとはいうが、Aが役に立つという言葉の使い方は一般的な使い方から逸脱していると思う。

これら3つの構成要素を検証してみた結果、文字に込められた意図が不明瞭であることが分かる。意図が不明瞭であるということは、意図が指し示す参照先(referent)がどれなのかがわからないということ。つまり文そのもの真理値がわからないのだ。反証ができないということ。

哲学が役に立つと仮定した場合、2つのアプローチが考えられる。1つは哲学は役に立つんだと主張するアプローチ。もう1つはそもそも役に立たなくていいと主張するアプローチ。後者は、そもそも大学で学ぶことなんてどれも役に立たないじゃないかというポジションをとることができる。

前者なのだが、哲学がそもそも何を指し示しているのかがわからないのでかなりアプローチしにくい。どういった解釈が考えられるだろうか。まず、哲学という学問を指し示していると考えられる。この場合、学問とはなんなのかがよくわからないところだが、一番気になるのは哲学の題材を指し示しているのか、それとも哲学の題材にアプローチすることをなのかがとても気になる。哲学は特に時代によって題材が変わる学問だから、いつの哲学のことを指しているのかも気になる。

次に、哲学を大学で学ぶことを意味しているとも考えられる。この場合は哲学を学ぶ学生同士がキャンパスで同じ時間を過ごすことに意味が出てくる可能性がある。とりあえず、哲学がなんなのかという解釈によって答え方が(文の真理値が)かなり変わってくるということ。

質問を構成する単語の意図がわからないのだから、そもそも大学で勉強することなんてどれも役に立たないと主張するのが手っ取り早いのは確かかもしれないが・・・・・・・・・・・・・・。


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ジョーと論理学

  • 2015/02/16 14:57
  • Category: 哲学
2chでは以下のコピペが使われることがある。

論理学
ジョーは酒場で論理学の教授と知り合った。
「論理学ってのはどういったもんですか?」
「やって見せましょうか。お宅には芝刈機があります?」
「ありますよ」
「ということは、広い庭があるわけですね?」
「その通り!うちには広い庭があります」
「ということは、一戸建てですね?」
「その通り!一戸建てです」
「ということは、ご家族がいますね?」
「その通り!妻と2人の子供がいます」
「ということは、あなたはホモではないですね?」
「その通り!ホモじゃありません」
「つまりこれが論理学ですよ」
「なるほど!」

深く感心したジョーは、翌日友人のスティーブに言った。
「論理学を教えてやろう。君の家には芝刈機があるか?」
「いや。ないよ」
「ということは、君はホモだな!!」


このコピペの解説がどれもこれもおかしいのでちゃんと解説しようと思う。解説してる人たち、絶対に論理学やったことないだろ。

論理学には仮定のオペレーターというのがある。フランスだと→ という記号が使われることが多いらしい。それで、P→Qは if P then Qという仮定文になる。論理学はtruthfunctional value(真理価値)というものを示す言語であって、フォーミュラPや文P→QにはTrueとFalseのどちらかの価値が与えられる。論理言語を元に作られているPCの電気信号でいう1と0である。

で、このコピペを記号で表していこう。

芝刈り機がある→広い庭がある
広い庭がある→一戸建てである
一戸建てである→家族がいる
家族がいる→妻と2人の子供がいる
妻と2人の子供がいる→ホモではない



となる。この文のセットは以下の文と同じ真理価値を持つ。

芝刈り機がある→ホモではない



そこら辺の解説では

ジョーは
芝刈り機がある=ホモではない
芝刈り機がない=ホモである
と勘違いした


とかかれているが、これは間違い。→という記号で表さないと真理価値が全然違うものになる。


P→Qという文章は、PがQに対する十分条件であり、QがPに対する必要条件である。真理価値のテーブルを作るとわかりやすいが、今回はそこまで論理学をするつもりはないので割愛。

P→Qという文がTrueであれば、PがTrueの時にQがTrueになる(conditional)。一方、P→Qという文がFalseであれば、PがTrueの時にQがFalseになる(negated conditional)。

Pの時は絶対にQが出てくるが、Qの時はPが出てこない場合があるという感じ。だから、例えばR→Qという文が書かれていないが実はどこかにあって、RがQを成立させている場合がありえる。その場合はPがFalseでもQがTrueになることもある。

そして、

芝刈り機がある→ホモではない


と同じ真理価値の文章は

ホモである→芝刈り機がない


なのだ。対偶(contraposition)というらしい。これは

芝刈り機がない→ホモである


と全く違う真理価値を持つ文章だ。十分条件と必要条件がひっくり返っている。ジョーはこの辺りの対偶関係を間違えたということになる。

個人的にこのコピペの笑いどころは論理学の教授がジョーに論理学を教えなかったというところにあると思っている。まあ、多分書いてる本人が論理学分かってなかったんだろうって気もしなくはない。

いわゆる論理的思考法について

  • 2014/06/27 01:04
  • Category: 哲学
論理力だの論理的思考法だのと騒ぎ立てている記事をいくつか読んだが、どれもこれも見当違いなので本当の論理的思考法とはどういうものなのかについて簡単に書こうと思う。

論理的思考法とはその名の通り、思考法の一種類である。思考法の中でも、論理的な正しさを頼りに行われる。

論理というのはそもそも主張に適応されるものである。主張というのは、いくつかの前提と結論からなる文の集まりのこと。

論理のイントロコースでよく使われる例でいえば、

ソクラテスは人である(前提1)
人は死ぬ(前提2)
よってソクラテスは死ぬ(結論)

この主張形式は三段論法(覚えなくていい)といって、2つの前提から結論を導き出す形式のもの。


ではこの主張がどう論理的に正しいかを説明していこうと思う。

まず主張の前提と結論に一貫性(consistency)がなくてはならない。

論理学においてはそもそも物事を否定する方法はひとつしかない。それは矛盾を見つけること。だから矛盾がない状態(一貫性のある状態)が主張が正しくなる為に必要となる。(一貫性があれば正しいというわけではない)

一貫性のある状態(または矛盾がない状態)ということは論理学において以下のように定義されている

集まっている文の1つ1つが全て正しくなることのできること

ソクラテスが人であることは人が死ぬという事実と矛盾しない。また、結論のソクラテスは死ぬということもこれらのどれとも矛盾しない。よってこの主張には一貫性がある。

逆に、一貫性がなくてどこかに矛盾がある状態というのは、"Aである"と"Aではない"のA & not Aのどちらも主張の前提/結論またはそれらによって示唆されるものから見つけなくてはいけない。(ソクラテスは人である & ソクラテスは人ではない、など)


正しい主張は一貫性がなくてはいけないだけでなく、正しい主張には妥当性がなくてはいけない。

妥当性は、与えられた前提から特定の結論を導き出すことができるという状態を指す。論理学での定義は、

全ての前提が間違いの時に結論が正しくなることができないこと

ソクラテスは死ぬについての主張の場合、結論のソクラテスは死ぬが正しい時に、前提の両方が正しくならなくてはいけない。この辺は記号論理でtruth tableとかいうのを作ってテストすることができる。(またはtruth treeで非妥当性から妥当性を求めることができる)

主張に妥当性があれば主張として検討することができる。主張が論理的に正しいというのは、その主張に妥当性があるということ。


次に、正しい主張は健全でなくてはならない。

健全性とは、

主張に妥当性があり、かつ全ての前提が正しいこと

健全性は論理だけで求められることではない。健全性になると論理の範疇を超え、前提の1つ1つが正しいかどうかを他の手段で確認していく必要がある。

ソクラテスが人であることを、彼を解剖するなりなんなりして確認しなくてはいけない。また、人が死ぬという事実もどうにかして正しいと確認しなくてはいけない(おそらく帰納法で)。この確認作業なしでは、ソクラテスは神だった、なんてことをいうことも出来る。そして神は人ではない。よってソクラテスは人ではない、とつなげられてしまう。


論理的思考云々に関しては、その思考(主張)の一貫性と妥当性だけを気にすればいい。だが、思考に一貫性があったり妥当性があったからといって、それが正しい保証はどこにもない。思考や主張は、健全性を得ることでしか正しいとして受け入れることはできない。そしてそれがめちゃくちゃ難しい。

嫌い合う

  • 2014/02/01 07:08
  • Category: 哲学
自転車通学をしているとたまに幅寄せみたいなことをされたり特におかしいことをしていないのにクラクションで煽られることがある。
こういったことをしてくるのは、いつも車両だ。

逆に車両のドライバーは道路の端っこを中途半端な速度で走る自転車を嫌っているだろう。
自転車が歩行者を後ろから追い抜くときに、その歩行者が横に動かない保証がない。
それと同じ感覚なのだろうと思う。
さらに、自転車は交通マナーを破ることが多い。
信号無視する自転車を何度見たことか。

つまり自転車のりは車のりを嫌い、車のりは自転車のりを嫌っているのだ。
しかし彼らはお互いがお互いを一般化しているだけだ。
実際には交通マナーのいい自転車のりもいるのだ。
逆に、車のりだって自転車に道を譲ってくれる場合もある。
幅寄せだって好きでやってるんじゃないかもしれない。
後ろから自転車を抜くときにクラクションをならすのも、ミラーのない自転車に抜きますよと教えてくれているだけかもしれない。

一般化された概念同士が互いを嫌おうとも、そんなことどうでもいいのだ。
長い時間話し合うわけでもないし、お互いがお互いを本当はどう思っているのかなんてわからない。
なら煽られても煽りやがってこんちくしょーと思った1分後には忘れてしまうのが一番良いのではないか。

お互いがお互いを嫌う、もちろん行き過ぎれば良くないが、ミューチュアルに嫌う分には問題ない。
自転車や自動車に限らず、人間関係もそんな感じだと思う。
相手のことを、うぜーこいつと思っていても、友達にはなれる。

主張分析:キリスト教勉強会に行くかどうか

  • 2014/01/18 00:44
  • Category: 哲学
クラスメイトのC君がどうやらキリスト教勉強会のリーディングをすることになっているらしい。彼が私を勉強会に誘ったところで、お互いに主張を見せ合っていくかどうかを検討してみた。そこで出てきた主張を忘れないよう記事にしてまとめておこうと思う。お互い哲学の生徒なので、こういうやり取りは楽しんで行える。これだけでも大学へ来たかいがあったかもしれない。

C君による第一の主張
1. とら(私)のいる思想的ポジションはよくない
2. 勉強会に行けば今の思想的ポジション以外のポジションを知ることができる
3. キリスト教は思想的に良いまたは悪い
4. キリスト教が思想的に良い場合に信じればいい
5. よってキリスト教勉強会に行く


私による第一の反論
1. 人間は限られた時間しか生きられない
2. 世の中には数えきれないほどの宗教がある
3. 1つの宗教を学ぶのに一定の時間がかかる
4. 私はキリスト教が他の宗教より優れていると思えていない
5. よって宗教を学びに行くことは数えきれないほどの時間を必要とする
6. よって宗教の勉強会へ行くことは人間の限られた時間では足りない


私の第一の反論に対するC君の反論
1. 大学には数えきれないほどの専攻科目がある
2. 人間は限られた時間しか生きられない(私による第一の反論ライン1より)
3. とら(私)は哲学を専攻している
4. よってとら(私)の行動(専攻科目の選択とキリスト教勉強会に行かない)には矛盾がある

私の第一の反論のライン4で示した通り、キリスト教が他の宗教より優れているという証明がない。
専攻科目選択において哲学を選んだのは、哲学が他の科目よりも優先されるべきだとの考えがあった。
よってC君の反論は成立しない。


C君による第二の主張
1. Eternal Salvation (永遠の救済?)はすべての人にとって望ましいものである
2. キリスト教勉強会ではEternal Salvationについて知ることができる
3. 望ましいことを知るのは良いことだ
4. よってキリスト教勉強会に行く

C君による第二の主張に対し、私はライン1の前提がキリスト教思想を仮定としているが、私はその知識がないので判断ができないと指摘した。よってライン1の前提の価値(value)は否となる(false)。

今回はここまで。
C君が大学のジムに行く道のりでの会話だったため、ジム付近についたのでここで打ち切りとなった。次のクラスまでに新しい主張を作っておくからまた聞いてくれよといっていたが、キリスト教思想のコンセプトを一切使わずに何の思想も持っていない人(私)をキリスト教へ誘うのは難しいぞ!(ちなみに私は無神論者でもない)

詭弁のガイドラインにおける問いを分析する

  • 2013/12/27 10:11
  • Category: 哲学
書き終えてから、なんでこんなの書いてるんだろうと思った。
ロードバイク関係がメインになるんじゃないのか!?(苦笑)



詭弁のガイドラインというのがあって、詭弁?をまとめてあるらしいが、ほとんど間違っているというのは前の記事で示した。この記事では詭弁のガイドラインに使われている例の問いを分析してみようと思う。

詭弁のガイドライン:
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%EB%CC%CA%DB%A4%CE%A5%AC%A5%A4%A5%C9%A5%E9%A5%A4%A5%F3
前の記事:
http://circlefinance.blog86.fc2.com/blog-entry-449.html

詭弁のガイドラインでは以下の問いが例として使われている。

例:「犬ははたして哺乳類か」という議論をしている場合


このガイドラインでは、この問における答え
あなたが「犬は哺乳類としての条件を満たしている」

に対する反論で否定論者が使う詭弁?をまとめてある。

この導入の仕方にはいくつかの働きが見られる。

主な働きとして、攻撃対象の複数可があげられる。否定論者は、
「犬ははたして哺乳類か」
「犬は哺乳類としての条件を満たしている」

の2つのステイトメントに直面している。

何の否定論者なのかがわからない。攻撃対象が複数であるから、2つのパターンが考えられる。①犬は果たして哺乳類かの問いに対する否定論者。②犬は哺乳類としての条件を満たしているのステイトメントに対する否定論者。


「犬ははたして哺乳類か」に対する否定の場合

この場合は問題そのものの構造的な働きに対しての否定である。犬は果たして哺乳類かとは、Yes No問題だから、基本的にはYesかNoでしか答えられない。だからガイドラインの筆者にとっての肯定論者は否定論者にYesかNoで答えることを求めているのだと読める。ただし例外がある。

D.R.Hofstadterいわく、問題にYesかNo以外で答えることが可能な場合がある。答えが、以下の問いに対するものの場合である。

un-ask the question(聞かれていない問題),
indicate the question is fundamentally flawed(問題自体に欠陥がある場合), or
reject the premise that a dualistic answer can or will be given(二元論的な答えが出せると考えない場合) .


wikipediaからでごめん:
http://en.wikipedia.org/wiki/Mu_%28negative%29#.22Unasking.22_the_question

今回は2つ目の問題自体に欠陥がある場合が適応される。何が言いたいかというと、詭弁ガイドラインにおいて最初に提起された問題「犬ははたして哺乳類か」には根本的な欠陥があるということだ。この問いには3つの暗黙の了解(presumption)がなされている。①"犬"という単語は肯定論者が想像する犬であるということ。②"哺乳類"という単語が指し示すものも肯定論者が想像する"哺乳類"であるということ。③"哺乳類か"のフレーズは、動物を類に分類することに同意していること。この3つこそ真っ先に議論するべき内容なのに、この詭弁のガイドラインはそれをすっ飛ばして筆者自身に都合がいいような問いを立てているのが分かる。



犬は哺乳類としての条件を満たしているに対する否定の場合

否定論者は分類学的な動物の区分けに納得しているということになる。この場合でも先に述べた①"犬"という単語は肯定論者が想像する犬であるということ②"哺乳類"という単語が指し示すものも肯定論者が想像する"哺乳類"であるということ、の2つは問題になる。この場合でも、③Xに哺乳類としての条件が満たされていればXを犬とする、④"哺乳類としての条件"は肯定論者が想像するものとする、という暗黙の了解が生まれる。これら①~④全てを1つ1つ議論していき、どのように結論をだすかを明確にするべきである。

これらの点から、詭弁のガイドラインにおける例の問題提起は肯定論者に圧倒的なアドバンテージを与えている。この点に気が付かないで否定論者を詭弁だと罵るのは気が早すぎじゃないだろうか。

詭弁のガイドラインへの反論

  • 2013/12/27 02:47
  • Category: 哲学
結構前にふと2chの哲学関連のスレッドを見ていたら詭弁ガイドラインなんてものがあった。読んでみたら間違いだらけだったのでこの記事でまとめて反論する。今回参照した詭弁ガイドラインはここ:
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%EB%CC%CA%DB%A4%CE%A5%AC%A5%A4%A5%C9%A5%E9%A5%A4%A5%F3

全体を通して言えることは、この詭弁ガイドラインを書いた人は詭弁以前にそもそも何が主張なのかをわかっていないであろうということ。1つ1つ反論していこうと思う。引用文は全て斜体にしておく。


例:「犬ははたして哺乳類か」という議論をしている場合

あなたが「犬は哺乳類としての条件を満たしている」と言ったのに対して否定論者が…

1.事実に対して仮定を持ち出す

「犬は子供を産むが、もし卵を生む犬がいたらどうだろうか?」


仮定を持ち出したからなんなのだろうか?否定側は、

if 犬が卵を生む then.....

という仮定(precedent)をしているだけで、その帰結(consequent)は述べていない。なので仮定は仮定なので結論ではない。よって詭弁というよりも、仮定と結論の区別がついていない点に問題があるのではないかと思う。なのでこれは詭弁(Argumentative Fallacy)とは言わない。なにせ何も否定していないし主張もしていないのだから・・。


2.ごくまれな反例をとりあげる

「だが、尻尾が2本ある犬が生まれることもある」


ごくまれな反例はむしろ正しい反論ではないか。詭弁ガイドラインを書いている側の主張はおそらく

犬は尻尾を1本持つ(前提1)
よって尻尾を2本持つ生物は犬ではない(前提1からの結論)

ということであろう。前提1は前提であり、これが絶対の法則であるということはない。よって尻尾2本の犬が実際に存在することを示すのは、前提1を否定し、主張の健全性を否定したことになる。

健全性:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%A5%E5%85%A8%E6%80%A7

また、尻尾が2本あるが他の特徴を見る限りで犬と考えられる生物がいたとすれば、尻尾の数で犬かどうかは決まらないということがわかるだけである。それか他の要因によって1本しか生えないはずの尻尾が2本になっているなども考えられる。

こういった論争は地動説と天動説の論争ににている。勘違いしている人が多いと思うが、別に地動説が間違っているとはいまでも証明できない。地動説でも惑星の位置を計算することができる。ただしマイナールールが多すぎてややこしくはある。なので天動説も地動説、どちらも同じ事象を説明することができているのに、なぜ私達は天動説を信じているか。それは天動説が地動説よりもより簡単に惑星の場所を予測することができるからである。これはオッカムのカミソリまたはクワインの著作On Simple Theories of a Complex Worldで、同じ事象を説明する理論が複数ある場合にはよりシンプルなものを採るべきだという主張で選ばれている。

オッカムのカミソリ:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%89%83%E5%88%80
W.V.O.クワイン:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%B3




3.自分に有利な将来像を予想する

「何年か後、犬に羽が生えないという保証は誰にもできない」


何年か後と言っているように、これは未来の話なのでいまには関係がない。そもそも、犬に羽が生えないという保証を誰もできないことがどうしたのだろうか?これは正しい指摘だし、この指摘が議論に関係あるのならぜひ行ってほしい。ただし未来に対しての保証が何もできないのはある種のニヒリズムかもしれない。だから現在ベースで考えよう、となるのかもしれない。議論の前に、そのコンセンサスがないことの方が問題。よって詭弁とか関係ない。



4.主観で決め付ける

「犬自身が哺乳類であることを望むわけがない」


記号論理で現す必要もないぐらいだが、望まれていることと観測された事実は別である。国語の問題なので詭弁とか関係ない。




5.資料を示さず持論が支持されていると思わせる

「世界では、犬は哺乳類ではないという見方が一般的だ」


これは詭弁で正しい。ちなみに資料があろうがなかろうが詭弁。Ad Populumと言われている。
特定の価値を一般的である、故に正しいと主張する論法である。ただし、一般的であることが正しさを保証しないことに注意しなくてはいけない。J.S.ミルのOn Liberty(自由論)において有名な引用がある:

"If all mankind minus one were of one opinion, and only one person were of the contrary opinion, mankind would be no more justified in silencing that one person than he, if he had the power, would be justified in silencing mankind" (16)
J.S.Mill On Liberty, Indianapolis, Hackett.

要約すると、多数が少数を黙らるという方法では多数の主張は正当化されませんよということ。おおっとまさにこの詭弁ガイドラインがやってることでした。



6.一見、関係がありそうで関係のない話を始める

「ところで、カモノハシは卵を産むのを知っているか?」


知ってるかどうかを聞いているので話の導入なだけかもしれない。詭弁とか関係なく、ただの話し方の問題である。この導入ではじまる内容が議論に関係あればぜひ行ってもらいたい詭弁?である。というか主張じゃない。



7.陰謀であると力説する

「それは、犬を哺乳類と認めると都合の良いアメリカが画策した陰謀だ」


これを結論とした証明できて、議論に関係があるならいいでしょう。これだけだと主張じゃない。



8.知能障害を起こす

「何、犬ごときにマジになってやんの、バーカバーカ」


これを詭弁と読む人はおそらく詭弁(Argumentative Fallacy)の意味をわかっていない。
バーカバーカ。

9.自分の見解を述べずに人格批判をする

「犬が哺乳類なんて言う奴は、社会に出てない証拠。現実をみてみろよ」


ここで使われている例は5.資料を示さず持論が支持されていると思わせると同じ。人格批判は人格批判で詭弁だが、この例は人格批判ではない。Xという考えを持っていて、社会にXという考えを持っている人がいないと言われて人格批判だと思うのはこの詭弁ガイドラインを書いている人の考えらしい。



10.ありえない解決策を図る

「犬が卵を産めるようになれば良いって事でしょ」


それを可能にするプランがあるのなら、別にありえなくない。思考の道筋に何がどうなればうまくおさまるかから考えるのは悪くない考え方である。ちなみにこれは主張ではないので詭弁とかそういうの関係ない。



11.レッテル貼りをする

「犬が哺乳類だなんて過去の概念にしがみつく右翼はイタイね」


だから何?主張でもなんでもないし、詭弁とか関係ない。



12.決着した話を経緯を無視して蒸し返す

「ところで、犬がどうやったら哺乳類の条件をみたすんだ?」


10.ありえない解決策を図るから入ってこの12になるのなら分かる。何がどうなればうまく収まるからから初めて、何が必要かを考えているだけである。決着した話を蒸し返すのは単純に議論の流れ上都合が悪いというだけで、この詭弁ガイドラインを書いている人はそうされると都合が悪くなるらしい。詭弁とか関係ない。



13.勝利宣言をする

「犬が哺乳類だという論はすでに何年も前に論破されてる事なのだが」


論破されているならどう論破されているかを示せばいいだけ。これを言うだけでは何もしたことにはならない。主張でもないし、詭弁とか関係ない。



14.細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる

「犬って言っても大型犬から小型犬までいる。もっと勉強しろよ」


そう言われると詭弁ガイドラインを書いている人は無知を認識させられるらしい。だから何。詭弁とか関係ない。そもそも主張じゃない。



15.新しい概念が全て正しいのだとミスリードする

「犬が哺乳類ではないと認めない限り生物学に進歩はない」


言ってることがよくわからない上に、例がおそらく言っていることと関係ない。とりあえず例に対しての指摘をする。ここで主張されているのは、犬が哺乳類であると考えないと(前提をおかないと)生物学に進歩はない、である。

if it is not the case that 犬が哺乳類, then it is not the case that 生物学は進歩する である。
否定を取り除くと、

if 犬が哺乳類, then 生物学は進歩する。

Contraposition(対置?)で元の文とtruthvalueが同じなのは
生物学は進歩する if 犬が哺乳類 でした。



仮定文は何も証明しない。主張じゃないので詭弁とか関係ない。Precedenceがあるなら別だが。



最後に

記号論理学において主張(argument)とは、"set of two or more sentences, one of which is designated as the conclusion and the others as the premises"である (9, The Logic Book, Bergmann, Merrie., Moor, James., Nelson, Jack. Higher Education). まとめると、主張とは2つ以上の文で構成され、その一部が結論、別の一部が前提として機能するものである。詭弁(argumentative fallacy)とは悪いリーズニングの仕方であるということを示している。これは、一般の人が陥りやすい間違った主張の仕方のこと。間違った主張の仕方がある程度パターン化され、間違っていると証明されたからこそ詭弁であると言われている。正しいかは知らないが、wikipediaに例が沢山あるので参考にして欲しい。

詭弁: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81


というかargumentative fallacyでwikipedia検索をかけたら、日本語ページでは誤謬とかいうのに飛んだ。どうやら詭弁のページは英語のSophismのページにリンクされているようだ。誤謬のページがLogical Fallacyにリンクされている。英語が読めなくても実際にページを見てもらえばわかるのだが、Sophismのページには詭弁の例が1つもない。一方Logical Fallacyのページには詭弁の例一覧へのリンクがはってあり、詭弁のページと同じように例が沢山ある。明らかに間違ったリンクのされかたである。この辺に日本人の詭弁に対する知識の無さが現れているのかもしれない。ちなみにSophism/Sophistは今は詭弁と呼ばれるリーズニングを無知識の一般人に行うこと、または行っていた人達のことである。つまり詭弁そのものではない。


最後の最後にかなり大事なことで気をつけてもらいたいのが、この詭弁ガイドラインは

例:「犬ははたして哺乳類か」という議論をしている場合

あなたが「犬は哺乳類としての条件を満たしている」と言ったのに対して否定論者が…


というフレームで議論が始まっていることである。

犬は哺乳類としての条件を満たしている、よっては犬は哺乳類だというのは、条件を満たせば哺乳類であるという大前提(presumption)がある。実際はそんな簡単に動物の分類はできないし、本来ならそこから議論されるべきなのだが、この詭弁ガイドラインはその一番大事なところをすっ飛ばしている。

犬が哺乳類かどうかを議論する前にどうすれば動物が哺乳類と考えられるかを先に議論するべきだ。つまり、議論の結論をどうやって下すかを話し合い、コンセンサスを取ることが必要になる。それをやらないで議論というのは、どうかと思う。結論の出し方を知らないのに議論って、議論は結論を出すためにやるのに・・。この詭弁ガイドラインがいう"議論"とは、そもそも議論として成立していないことに注意してもらいたい。


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プロフィール

とら

Author:とら
ブログ移行しました。
http://lunt.hatenablog.com/


ヾ(☆OωO+)ノ
小さい頃からデブで良かったと思わなくもない。

オタワ(カナダ)の大学生
1. 自分の家の周りが自転車道だらけであることを知り、MTBを買う
2. ロードバイクに抜かれるのが嫌でロードバイクを買う
3. 減量がうまくいく←いまここ

ヽ(´ー`)ノ
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